2017(平成29)年7月15日より、『広報なりた』の毎月1回の特集記事「成田ゆかりの人々」で、「さまざまな分野で活躍した人や郷土の発展のために尽くした人」の紹介がスタートし、図書館では、所蔵する郷土資料を主な参考とし、編集校正の補助作業を行い協力しています。
今回の展示では、成田の近現代の政治・経済・宗教・教育・文化など多方面において、時代的に貢献のあった人物、また図書館に所蔵する資料で容易に調べられる人物に焦点を絞り、シリーズの中から10名を取り上げ、パネル展示を行いました。『広報なりた』では紹介できなかった参考・引用文献をそれぞれの人物パネルに付記し、展示しています。また、参考とした主な市史関連の文献なども展示品として紹介しています。
※展示期間:2019(令和元)年8月から2021(令和3)年1月まで
図書館で調べよう 成田ゆかりの人物
最終更新日 2023年03月30日
展示期間 : 08月から01月
展示場所 : 本館2階展示
パネル人物の概略
今回パネル展示した人物
田中照心(たなか しょうしん)
明治時代、東勝寺(宗吾霊堂)を隆盛させました。しかし東勝寺は、門前の火災により消失したため、再度、建て直しに尽力しました。
三池照鳳(みいけ しょうほう)
新勝寺の第14世貫首(かんす)で、成田の教育整備に大きく貢献し、明治時代中頃には、積極的に鉄道の敷設に尽力しました。
今沢慈海(いまざわ じかい)
東京市日比谷図書館長と、日本図書館協会会長を務めました。また、新勝寺貫首(かんす)の要請により、成田中学校(現在の成田高校)の校長を務め、昭和23年には成田山教育・文化・福祉財団理事長に就任するなど、成田の教育・文化事業の発展に尽力しました。
小川武平(おがわ ぶへい)
明治時代初頭の政策により国有化された長沼の漁業権をめぐり、沼の無償払下げのため活動しました。
福澤諭吉(ふくざわ ゆきち)
小川武平が影響を受けた『学問ノスゝメ』の著者で、長沼村(当時)の教育活動にも協力した人物です。
以上の5名のパネルを先行展示しました。
さらに、5名を追加し、
竹尾弌(たけお はじめ)
戦前決して豊かではない農民のために政治家を目指し、戦後衆議院議員に当選しました。義務教育費の国庫負担制度や文教政策に尽くし、印旛沼・手賀沼の干拓事業などに尽力しました。
諸岡長蔵(もろおか ちょうぞう)
明治から昭和まで、品質本位・定価主義の経営方針を貫いた、初代米屋の社長です。私財を投じて社会福祉活動にも貢献しました。
水野葉舟(みずの ようしゅう)
与謝野鉄幹の下で歌人として出発し、後に作家となりました。関東大震災後、駒井野に移住し、成田の国語教育や文化活動に大きく寄与しました。
アップ・ジョーンズ
明治初期、近代日本の畜産業発展のため下総牧羊場を開設し、かつ技術面の指導を行うため御雇外国人として採用されました。
新山壮輔(にいやま そうすけ)
下総牧羊場の後身である下総御料牧場の牧場長に就任し、その牧場において、三里塚を日本畜産界の活躍の場として発展させました。
以上の10名の展示を行っています。
田中照心(たなか しょうしん)
明治時代、東勝寺(宗吾霊堂)を隆盛させました。しかし東勝寺は、門前の火災により消失したため、再度、建て直しに尽力しました。
三池照鳳(みいけ しょうほう)
新勝寺の第14世貫首(かんす)で、成田の教育整備に大きく貢献し、明治時代中頃には、積極的に鉄道の敷設に尽力しました。
今沢慈海(いまざわ じかい)
東京市日比谷図書館長と、日本図書館協会会長を務めました。また、新勝寺貫首(かんす)の要請により、成田中学校(現在の成田高校)の校長を務め、昭和23年には成田山教育・文化・福祉財団理事長に就任するなど、成田の教育・文化事業の発展に尽力しました。
小川武平(おがわ ぶへい)
明治時代初頭の政策により国有化された長沼の漁業権をめぐり、沼の無償払下げのため活動しました。
福澤諭吉(ふくざわ ゆきち)
小川武平が影響を受けた『学問ノスゝメ』の著者で、長沼村(当時)の教育活動にも協力した人物です。
以上の5名のパネルを先行展示しました。
さらに、5名を追加し、
竹尾弌(たけお はじめ)
戦前決して豊かではない農民のために政治家を目指し、戦後衆議院議員に当選しました。義務教育費の国庫負担制度や文教政策に尽くし、印旛沼・手賀沼の干拓事業などに尽力しました。
諸岡長蔵(もろおか ちょうぞう)
明治から昭和まで、品質本位・定価主義の経営方針を貫いた、初代米屋の社長です。私財を投じて社会福祉活動にも貢献しました。
水野葉舟(みずの ようしゅう)
与謝野鉄幹の下で歌人として出発し、後に作家となりました。関東大震災後、駒井野に移住し、成田の国語教育や文化活動に大きく寄与しました。
アップ・ジョーンズ
明治初期、近代日本の畜産業発展のため下総牧羊場を開設し、かつ技術面の指導を行うため御雇外国人として採用されました。
新山壮輔(にいやま そうすけ)
下総牧羊場の後身である下総御料牧場の牧場長に就任し、その牧場において、三里塚を日本畜産界の活躍の場として発展させました。
以上の10名の展示を行っています。