本展示は、平成26(2014)年度下総歴史民俗資料館の企画展の移動展示として開催しました。
滑河小学校・小御門小学校・名木小学校・高岡小学校の4つの小学校はいずれも130余年の歴史を刻み、平成26(2014)年市内で初めての小中一貫教育校として「下総みどり学園」に統合され、惜しまれながらその歴史を閉じました。
それぞれの小学校は、明治の創立以来、子供たちの教育の場として、また地域の中心として様々な地域活動の舞台となってきました。
今回の展示は、資料館の企画展の一部を紹介しています。
パネル中心となりますが、長い学校の歴史の中で4小学校が大切に保管・所蔵してきた学校・地域に関わる資料も展示しています。
郷土の教育史や歴史資料としても大変貴重な資料ですので、ぜひご覧ください。
また、卒業された方々にとっては懐かしい思い出の品々と思います。
どうぞこの展示を通して、皆様が過ごしたそれぞれの学校時代に思いを馳せていただければ幸いです。
お気付きの点や新しい情報がございましたら、図書館までお知らせくださいますようお願いいたします。
下総地区4小学校のあゆみ(下総歴史民俗資料館企画展 移動展示)
最終更新日 2015年08月28日
展示期間 : 05月から08月
展示場所 : 本館2階展示
展示資料リーフレット【サイズ:783キロバイト】
ケース内展示物展示期間
滑河小学校
5月8日(金)‐6月4日(木)
小御門小学校
6月5日(金)‐7月2日(木)
名木小学校
7月3日(金)‐7月30日(木)
高岡小学校
8月1日(土)‐8月27日(木)
※壁面展示およびケース内の一部を展示替えします。
滑河小学校
明治8(1875)年、当初西大須賀学校として西大須賀の昌福寺を校舎として発足しました。
最初の先生は医師であった青柳忠貞先生、僧職の畠中回麟先生です。
学区は西大須賀村、猿山村、滑川村、高倉村、大菅村でした。
明治12(1879)年に西大須賀谷津の新校舎へ移り、明治22(1889)年町村制施行により滑河町が発足して滑河町立西大須賀尋常小学校となりました。
明治41(1908)年、明治11(1878)年に分校として成立した猿山小学校(明治26(1983)年独立)と合併して、滑河観音の隣地である現在地に滑河尋常高等小学校として再出発しました。
太平洋戦争中の国民学校を経て戦後滑河小学校となりました。
最初の先生は医師であった青柳忠貞先生、僧職の畠中回麟先生です。
学区は西大須賀村、猿山村、滑川村、高倉村、大菅村でした。
明治12(1879)年に西大須賀谷津の新校舎へ移り、明治22(1889)年町村制施行により滑河町が発足して滑河町立西大須賀尋常小学校となりました。
明治41(1908)年、明治11(1878)年に分校として成立した猿山小学校(明治26(1983)年独立)と合併して、滑河観音の隣地である現在地に滑河尋常高等小学校として再出発しました。
太平洋戦争中の国民学校を経て戦後滑河小学校となりました。
小御門小学校
明治9(1876)年名古屋学校として名古屋の乗願寺の本堂を仮舎として開校しました。
最初の先生は僧職の松山歓歳先生、家塾教師の大竹市良左衛門先生でした。
学区は名古屋村、成井村、七沢村でした。
明治16(1883)年に抱松に新校舎を建て名古屋尋常小学校となりました。
明治22(1889)年の町村制施行により小御門村に統合された高倉区も学区に加わります。
明治29(1896)年に小御門高等小学校を現在地に創立しますが、明治42(1909)年に高等小学校は閉校となります。
この年名古屋小は小御門尋常小学校と改称して抱松校舎から現在地に移転しました。
国民学校を経て戦後小御門小学校となりました。
最初の先生は僧職の松山歓歳先生、家塾教師の大竹市良左衛門先生でした。
学区は名古屋村、成井村、七沢村でした。
明治16(1883)年に抱松に新校舎を建て名古屋尋常小学校となりました。
明治22(1889)年の町村制施行により小御門村に統合された高倉区も学区に加わります。
明治29(1896)年に小御門高等小学校を現在地に創立しますが、明治42(1909)年に高等小学校は閉校となります。
この年名古屋小は小御門尋常小学校と改称して抱松校舎から現在地に移転しました。
国民学校を経て戦後小御門小学校となりました。
名木小学校
明治15(1882)年8月頃に64学区名木小学校として開校しました。
最初の先生は猿山の椿二郎先生でした。
学区は明治17(1884)年に名木村のほか、中里村、青山村、倉水村、冬父村を加えて、名木新町台に新校舎を建築、明治19(1886)年名木尋常小学校と改称しました。
しかし、明治42(1909)年に郡長の指定で小御門小の分教場となり、昭和30(1955)年になって再び独立、名木小学校として再出発しました。
昭和57(1982)年に校舎を現在地に整備、移転しました。
最初の先生は猿山の椿二郎先生でした。
学区は明治17(1884)年に名木村のほか、中里村、青山村、倉水村、冬父村を加えて、名木新町台に新校舎を建築、明治19(1886)年名木尋常小学校と改称しました。
しかし、明治42(1909)年に郡長の指定で小御門小の分教場となり、昭和30(1955)年になって再び独立、名木小学校として再出発しました。
昭和57(1982)年に校舎を現在地に整備、移転しました。
高岡小学校
明治9(1876)年大和田学校として現在の高岡駐在所付近の民家を借りて創立します。
最初の先生は私塾を引き継ぐ形で小林道貫先生、宮島成徳先生、久保田仁左衛門先生でした。
学区は大和田村、高岡村、高村、小浮村、野馬込村、松崎村、小野村、冬父村、中里村、倉水村、青山村でした。
その後、明治24(1891)年に現在地に新築移転、明治44(1911)年、高岡尋常高等小学校に改称し、国民学校を経て戦後高岡小学校となりました。
最初の先生は私塾を引き継ぐ形で小林道貫先生、宮島成徳先生、久保田仁左衛門先生でした。
学区は大和田村、高岡村、高村、小浮村、野馬込村、松崎村、小野村、冬父村、中里村、倉水村、青山村でした。
その後、明治24(1891)年に現在地に新築移転、明治44(1911)年、高岡尋常高等小学校に改称し、国民学校を経て戦後高岡小学校となりました。