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2013年度展示情報一覧
写真は語る ‐長谷川朋慶氏が写した戦時中の成田町‐

写真は語る ‐長谷川朋慶氏が写した戦時中の成田町‐

最終更新日 2014年06月27日

展示期間 : 12月から05月

展示場所 : 本館2階展示


展示全体図
写真は語る 展示の様子
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 2013(平成25)年度の市史展示は、『成田市史研究第37号』に掲載された聞き取り調査「長谷川興成(はせがわ おきまさ)さんに聞く-子どもの目が見た戦中戦後の成田町-」で触れている、父・長谷川朋慶(はせがわ ともよし)さんが撮影した写真をご紹介します。約70‐80年前の激動の時代の成田町を、一人の青年の視点でとらえた貴重な写真資料となっています。また、当時の成田町のできごとなどを関連資料や写真を合わせて展示しました。
 昭和のはじめ、個人でカメラを所有することは大変な贅沢でした。大多数の人にとって写真は、人生の節目に写真館に行って撮ってもらうものでした。現在では珍しくないスナップ写真ですが、この時代の家族写真は当時の暮らしぶりを知ることができる歴史資料です。
 長谷川朋慶さんは数台のカメラを持っていたため、ガラス乾板や今では使われていないさまざまな規格のネガが混在した状態で、ご子息の長谷川興成さんの手元に残っていました。
 今回の展示にあたり、興成さんは父・朋慶さんが撮影した写真について、マウントを手作りしてスキャナーにかけるなど、さまざまな工夫を凝らしてデジタル化し、全面的にご協力くださいました。
 これらの写真は、撮影年がはっきりしている、撮影場所や被写体が特定できる、当時を記憶している方からお話を伺って情報を補足できるなどの好条件が重なりました。『成田市史研究第37号』で掲載できなかった聞き取り後の解説について、『成田市史研究第38号』でご紹介する予定です。
 お気付きの点や新しい情報がございましたら図書館までお知らせくださいますようお願いいたします。

※展示コーナー右側に、「展示資料リーフレット」をご用意いたしました。ご自由にお持ちください。
 

展示資料リーフレット【サイズ:1.4メガバイト】 PDF

長谷川朋慶(はせがわ ともよし)さん 
1912(大正元)年に成田町本町の碧玉堂印房に生まれる(現在の長谷川晴文堂)。彫師として成田山新勝寺の印鑑などを手掛けた。写真を趣味とし数多くの写真を残す。1944(昭和19)年9月に出征し、1945(昭和20)年8月戦没。
写真1 長谷川朋慶さん
写真1 長谷川朋慶さん
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写真2 カメラ仲間と撮影旅行。3列目の右端が長谷川朋慶さん。
写真2 カメラ仲間と撮影旅行。3列目の右端が長谷川朋慶さん。
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写真3 箱形カメラを持って撮影旅行。前列左から3人目が長谷川朋慶さん。
写真3 箱形カメラを持って撮影旅行。前列左から3人目が長谷川朋慶さん。
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長谷川興成(はせがわ おきまさ)さん
 1938(昭和13)年成田町に長谷川朋慶の長男として生まれる。長じてエンジニアとなり、鉄道にも造詣が深く、各種鉄道雑誌にも寄稿する。成田山霊光館所蔵の成宗電気軌道の模型も手掛けた。
写真4 長谷川興成(はせがわ おきまさ)さん
写真4 長谷川興成さん
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本町の町並み。
現在の成田山門前から京成成田駅へ向かう通称「電車道」と呼ばれる道路の1本東側の道(図1参照)。写真右手前の建物が当時の成田山参光協会。
写真5 本町の町並み
写真5 本町の町並み
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 黄緑色が写真5の道路。ピンクの部分は成田山参光協会があったと思われる場所。黄色が長谷川碧玉堂。地図の印旛教育会館があった場所には旧成田町役場があった。1970(昭和45)年度版・千葉県動態図鑑より。
図1 昭和45年度版・千葉県動態図鑑より。写真5の道路。
図1 1970(昭和45)年度版・千葉県動態図鑑より。写真5の道路。
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写真6 本町にあった実家・碧玉堂前で母と長谷川興成さん。
写真6 本町にあった実家・碧玉堂前で母と長谷川興成さん。
ショーウィンドーには大きな印鑑が見える。
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成田幼稚園の制服は1935(昭和10)年4月に制定され、戦時中の物資不足で自然消滅した(『成田幼稚園創立百周年記念 撫子たちの一世紀』)ということだが、この写真からは1944(昭和19)年時点でもトレードマークの白いエプロンをつけ、男の子はお揃いの制帽をかぶっていたことがわかる。右から2番目が長谷川興成さん(1944(昭和19)年撮影)。
写真7 成田幼稚園の玄関前で
写真7 成田幼稚園の玄関前で
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お正月 自宅前の成田山参光協会前で記念写真(1943(昭和18)年撮影)
成田山参光協会は一千年祭の際に観光振興を目的として1932(昭和7)年7月に設立された。現在でいう観光協会のような組織。興亜会授産所は、出征軍人の家族の生活の安定をはかるため設置された作業所。長谷川朋慶さんは後列の一番左端。
写真8 お正月 自宅前の成田山参光協会前で記念写真(1943(昭和18)年撮影)。前列中央が祖父と長谷川興成さん、後列左が父・長谷川朋慶さん。
写真8 お正月 自宅前の成田山参光協会前で記念写真(1943(昭和18)年撮影)
前列中央が祖父と長谷川興成さん、後列左が父・長谷川朋慶さん。
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図2 『成田町報第2号』 興亜会授産所設置の記事 1939(昭和14)年3月28日
図2 『成田町報第2号』 興亜会授産所設置の記事 1939(昭和14)年3月28日
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写真9 花咲町の新道にあったビリヤード場。戦争が始まってもしばらくは営業していたという。
写真9 花咲町の新道にあったビリヤード場。戦争が始まってもしばらくは営業していたという。
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図3 1945(昭和20)年ごろの成田駅周辺地図(部分)『市民が語る成田の歴史 成田市史叢書第二集』より。
図3 1945(昭和20)年ごろの成田駅周辺地図(部分)。
『市民が語る成田の歴史 成田市史叢書第二集』より
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成田山開基一千年祭

 1938(昭和13)年、当時の成田町は成田山新勝寺の開基一千年祭一色であった。1935(昭和10)年に一千年祭奉修事務局が設置され、3年がかりで準備が行われ、東京と大阪の歌舞伎座での記念公演、全国各地での記念展覧会など、大々的な広報が行われた。
 時節柄、『事変色を盛って』(読売新聞)の開催となったが、長谷川さんの写真からは戦時中でありながら華やかな衣装やユーモラスな張りぼてで仮装していた様子がわかる。
写真10 一千年祭の行列の衣装を着て近所の少女と。後ろに見えるのは開運橋。
写真10 一千年祭の行列の衣装を着て近所の少女と。後ろに見えるのは開運橋。
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写真11 張りぼての大きな頭をかぶって侍に仮装する人。
写真11 張りぼての大きな頭をかぶって侍に仮装する人。
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昭和19年の祇園祭

 1944(昭和19)年の祇園祭については、いままで資料が確認されておらず、開催されなかったのではないかとも考えられていた。写真の裏に1944(昭和19)年7月7日と書き込まれていたことで大きな発見となった。
写真12 山門の前で。祭装束を着た子どもたちだが、頭には日の丸の鉢巻き、手には国旗の戦勝祈願スタイル。
写真12 山門の前で。
祭装束を着た子どもたちだが、頭には日の丸の鉢巻き、手には国旗の戦勝祈願スタイル。
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写真13 成田山新勝寺内の神輿の前で祈祷を受ける様子。1944(昭和19)年7月7日。
写真13 成田山新勝寺内の神輿の前で祈祷を受ける様子。1944(昭和19)年7月7日。(クリックするとアップになります)
写真14 町内の子どもたちと女性たち
写真14 町内の子どもたちと女性たち
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戦争

長谷川さんは、出征する人がいると聞くと、成田町のみならず周辺の村へも出かけて行って、写真を撮って贈っていた。当時写真は気軽に撮れるものではなかったので、非常に喜ばれたという。
写真15 出征する青年
写真15 出征する青年
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写真16 出征する友人を送る宴
写真16 出征する友人を送る宴
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写真17 1944(昭和19)年9月、長谷川朋慶さん(前列中央)の出征 自宅前で記念撮影
写真17 1944(昭和19)年9月、長谷川朋慶さん(前列中央)の出征 自宅前で記念撮影
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戦地からの絵葉書

写真18 父(慶)と興成さんへ宛てた手紙
写真18 父(慶)と興成さんへ宛てた手紙
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父(慶)と興成さんへ宛てた手紙(全てカタカナで書かれているが、漢字と句読点と入れ表記した)
・宛て先 千葉県成田町谷津 長谷川慶 様 オキマサドノ
・差出人 中支派遣呂第五三九四部 佐久間隊 長谷川朋慶
・文面
 興成に別れてからもうどのくらいになるか、まだ勘定ができないだろう。この手紙が着く頃には、興成も学校へ行くようになるでしょう。
 一日も早く、字を覚えて、父ちゃんのとこへ便りをください。
 おじいちゃんやおばあちゃんに教えていただいて勉強しなさい。そして越子や稀子をよく見てやりなさい。今にいろいろのことを書いてあげるから待っていなさい。
写真19 武昌(ぶしょう)の港町が描かれている。中国湖北省東部の都市。
写真19 武昌(ぶしょう)の港町が描かれている。中国湖北省東部の都市。
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