資料名三重吉の俳句
著者名鈴木三重吉
出版者
作成年不明

書き下し文

即興  珊瑚珠を かけて麗(うらら)の 女哉  三重吉

解題

小説『珊瑚珠』1913(大正2)年1月は、長崎の離島の寒村における学生時代の思い出のような物語だが、滞在した家の娘「ちいさん」の可憐さを「後に束ねたそのふさふさしい黒い髪を飾つてゐる、赤い珊瑚珠の列り」として描いている。鈴木三重吉の浪漫趣味は、しっとりした女性の美しさを珊瑚の髪飾りで象徴する。三重吉の描く離島の漁村の原風景は、1904(明治37)年8月(三重吉22歳)に滞在した長崎の島と、1905(明治38)から1906(明治39)年に滞在した瀬戸内海能美島での体験にあった。その侘しくもどこか甘美な情景が珊瑚珠と重ねられて、後々まで三重吉の浪漫的なモチーフとして残ったのだろう。

自らの長男を珊吉と名付けてもいるが、これは珊瑚だけのイメージではなく、「佩玉珊々」つまり、貴人が腰に帯びた玉の鳴る音という意味からとったようだ。小宮豊隆宛て書簡1923(大正12)年5月30日に「こいつは金玉があるから佩玉珊珊で珊吉と命名」とある。

また、「麗」という文字への愛着もいくつかの文章に窺うことができる。石井善次郎の長男出生1910(明治43)年2月に際しては、麗の文字の意味深さを説いて、「麗吉」とせよと強制するように名付けている。小説においても「かうした屈託のない二人の女の私語は、私のまはりから長い冬があけて、急に麗かな三月の日影になつたやうに、賑やかに暖い或るものが感ぜられた」(『民子』)のように、目立たないが救いのような女性の暖かさを表現する語として「麗か」が用いられ、批評には「純麗」という語も用いられている。

この句が詠まれた時期は未詳だが、『鈴木三重吉全集』 岩波書店 1938年 月報第三号(全集第4巻付録 1938(昭和13)年10月)に掲げられた六句のうちの一句であり、彼の周辺の友人たちの記憶にもなかったもののようだ。三重吉は自分の小説の題名などを読み込んだ即興の句や唄を自慢げに披露することが度々あった。これは三重吉自身が気に入った一句として色紙、短冊などに書いて人に贈ったものの一つだったのであろう。

(星野光徳)

NSIN(書誌ID)DL20131000110
種別
細目うちわ
ページ数1枚
大きさ(縦×横)33.0×24.0cm
資料群名鈴木珊吉氏寄贈の鈴木三重吉資料
目録番号11
撮影年月日2012/09/12
掲載枚数 1 枚
備考額入り、取出し可能
所蔵成田市立図書館
分類 911.3
件名鈴木三重吉
件名(成田)成田市-鈴木三重吉
キーワード(成田)
地域コード9N
郷土分類 913