資料名『病院からさうして病院へ』の加筆原稿
著者名鈴木三重吉
出版者
作成年1910(明治43)年

解題

『病院からさうして病院へ』は鈴木三重吉が成田中学校(現成田高等学校)勤務中の1909(明治42)年に筆を執った作品である。1910(明治43)年1月、雑誌『東亜の光』に掲載された作への加筆。『二階』と改題されている。『三重吉全作集』第八編 金魚 1915(大正4)年12月18日に収録するための推敲加筆であったのだろう。

成田町在住期の小宮豊隆宛て書簡1909(明治42)年12月8日に「東亜の光なぐりがきヤケで三時間の執筆これは一寸甘(うま)い。(三時間にしては)これからこんなのをドンドン出す。」とあり、短時間で仕上げた短編であること、またこのような日常を題材とした短編なら多作できるという自信を抱いたことが窺える。内容は、妻の入院中、知り合いの下駄屋の2階に下宿することになった「私」が障子窓から眺める、往来を挟んだ商店の人々の様子と妻への労りの思いである。

加筆後は「妻」が「とき」と書き直されており、「ときは乳の下に腫れものが出來て切開を受けたのである。腹の中には4月の子供が止まってゐる。」という表現などには実生活上の背景が想像される。この時期、三重吉はまだ独身であったが、小宮豊隆宛て書簡1910(明治43)年2月14日には「久子妊娠六ケ月」とある。「久子」とは三重吉の従妹であるが、前年から引き取って同居していた久子を妻と想定しての虚構であったと考えられる。

三重吉は1909(明治42)年3月に目に負った傷の治療のため、この年6月まで医者にかかっていた。つまり、自分のための通院が終わると、また別の通院を心配しなければならなかった。まさに病院から病院へ、の時期であった。

(星野光徳)

NSIN(書誌ID)DL20131000040
種別加筆原稿
細目1枚物 
ページ数1枚
大きさ(縦×横)22.5×13.2cm
資料群名鈴木珊吉氏寄贈の鈴木三重吉資料
目録番号4
撮影年月日2012/09/12
掲載枚数 6 枚
備考『東亜の光』1910(明治43)年1月号に加筆、『二階』と改題
所蔵成田市立図書館
分類913.6
件名鈴木三重吉
件名(成田)成田市-鈴木三重吉
キーワード(成田)
地域コード9N
郷土分類866