解題
鈴木三重吉は新聞・雑誌に掲載された自作に、夥しい朱を入れて推敲加筆する作家だった。これは『国民新聞』1909(明治42)年11月3日に載った追憶的随想『文鳥』(鈴木珊吉氏寄贈の鈴木三重吉資料 目録番号7)を切り抜いて、『三重吉全作集』第五編 千鳥 1915(大正4)年への収録までの間に加筆したものである。加筆された表現は、岩波版『鈴木三重吉全作集』の『文鳥』とも殆ど変らない。他の切り抜き作品への加筆に比べれば、推敲の跡はむしろ少ないといえるが、次の点は気になる。『国民新聞』1909(明治42)年11月3日では、「さうして再び東京へ出て「山彦」と「三月七日」とのふたつの作をかいた。」とされていた箇所は、「さうして再び東京へ出て「山彦」と「おみつさん」を書いた。」と直され、さらに「おみつさん」の部分は朱で消されている。後に『鳥』と改題される『三月七日』は、籠の文鳥から連想される少年時代の恋と幻想ともいえる短編。「おみつさん」も、少年時代の淡い恋心を素材とした短編である。三重吉は各方面から評価を得た『千鳥』と『山彦』以外、学生時代の若書きといえる『三月七日』と『おみつさん』をあまり強調したくなかったのかも知れない。
(星野光徳)