資料名高浜虚子書簡 鈴木三重吉宛 明治42年6月16日
著者名高浜虚子
出版者
作成年1909(明治42)年6月16日

書き下し文

封筒表

千葉県成田町 中学校教員室 鈴木三重吉様

封筒裏

六月十六日 京橋区日吉町四国民新聞社内(国民文学部朱印) 高濱 清

本文

拝啓 先般来時々御上京の由伝承殊に草平君と御会飲の佳信をも洩れ承り候処奉慶賀候

 扨「俳諧師」もう此あと十回乃至二十回位にて完結為致積りに候が其あと若くは其次ぎ位のうちに何か御執筆被下事は相成間敷や丁度夏期休業に際し候事故一ツ御奮発被下候様御願申上候 三十回以上になれば宣敷候ニツキ是非御奮発願はしく候 右御諾否の件御一報被下度願上候 尚俳諧師ノスグ次ニナルカ、モ一ツ次ギニナルカモ御指定被下度し 頓首

  六月十六日   清

  三重吉様

解題

高浜虚子は、正岡子規門下の俳人で、1908(明治41)年9月から約2年間国民新聞社に籍を置いた。清は虚子の本名。虚子が国民新聞社に入社し、文芸部を新設して部長に就任したのは1908(明治41)年10月である。まず徳田秋声に連載小説『新世帯』を書かせたが、自身も『続俳諧師』を連載(1909(明治42)年1月3日から6月30日)した。

この手紙によって、自分のあと、鈴木三重吉に連載物を書かせようと考えていたことが判る。三重吉は『千鳥』以後も『山彦』『鳥物語』を雑誌『ホトトギス』に、『赤菊』『黒髪』を国民新聞に掲載している間柄である。

虚子の望む連載はすぐには実現せず、三重吉は小品『文鳥』(1909(明治42)年11月3日)、短編『エピソード』(1910(明治43)年1月1日から3日)を書いただけであるが、長編『小鳥の巣』の構想を練り始めていた。

(山本侘介 事務局にて一部加筆)

NSIN(書誌ID)DL20101000040
種別書簡
細目巻紙・封皮共
ページ数1枚
大きさ(縦×横)外寸(26cm×138cm),本紙(18cm×114cm)
資料群名鈴木珊吉氏寄贈の鈴木三重吉資料
目録番号17
撮影年月日2012/09/12
掲載枚数 1 枚
備考
所蔵成田市立図書館
分類915.6
件名鈴木三重吉
高浜虚子
件名(成田)成田市-鈴木三重吉
キーワード(成田)
地域コードN
郷土分類956