資料名 | 夏目漱石書簡 鈴木三重吉宛 明治41年12月19日 |
著者名 | 夏目漱石 |
出版者 | |
作成年 | 1908(明治41)年12月19日 |
書き下し文
封筒表
千葉県成田丁吾妻屋 鈴木三重吉様
封筒裏
東京牛込早稲田南町七 夏目金之助 十二月十九日
本文
又々御転宅のよし承知致候学校定めて御多忙の事と在候
休みには泊まりがけに御出京可然候。先達泥棒這入る。両三日前赤ん坊生る。是にて今年も無事なるべきか。文壇紛々悉く是空洞の響なり。壇上の人亦遊戯三昧と心得て一生を了し得べし。馬鹿々々しき事を馬鹿々々しく思ひつゝ真面目に進行さする事遊戯三昧の境に達せざる時は神経衰弱となり喪心失気となる。天寿可惜。閑日月を抱いて齷齪の計をなす。可ならずとせんや。草々
十二月十九日 金
三重吉様
解題
この手紙は夏目漱石が鈴木三重吉からの書簡に対し出京を促し、子供の誕生など自身の近況に触れた書状である。金之助は漱石の本名。 1908(明治41)年10月9日付で成田中学校から「任本校教諭」の辞令を受けた三重吉は、成田に着任してから、本町の田中屋旅館、横町(現成田市幸町)の黒川宅、さらに12月10日には田町のあづまや旅館と次々に居を移した。文面の「又々御転宅」はそれを指している。
漱石の家はどういうわけか泥棒によく入られ、この時の帯泥棒のことは『永日小品』の中にも書かれている。千駄木時代には、中川芳太郎宛に漱石への敬慕の情を綿々と綴り、それを見せられた漱石が三間に余る長尺に驚いたという三重吉の手紙も災難に遭った。誕生した赤ん坊とは次男(第六子)夏目伸六である。
(山本侘介 事務局にて加筆)
NSIN(書誌ID) | DL20101000030 |
種別 | 書簡 |
細目 | 巻紙・封皮共 |
ページ数 | 1枚 |
大きさ(縦×横) | 外寸(26cm×136cm),本紙(18cm×115cm) |
資料群名 | 鈴木珊吉氏寄贈の鈴木三重吉資料 |
目録番号 | 14 |
撮影年月日 | 2012/09/12 |
掲載枚数 | 1 枚 |
備考 | |
所蔵 | 成田市立図書館 |
分類 | 915.6 |
件名 | 鈴木三重吉 夏目漱石 |
件名(成田) | 成田市-鈴木三重吉 |
キーワード(成田) | |
地域コード | N |
郷土分類 | 956 |