私たちの成田の街の移り変わりを、空中写真と地図で鳥瞰します。昭和40年代はじめの空港建設決定以降、成田市は大きな変貌をとげました。図書館 の蔵書の中でも写真や地図は、その時代を知るための貴重な資料です。
ひとときのタイムスリップ、懐かしい時に思いを馳せてみませんか。
成田市のすがた
成田市は東西20.1km、南北19.9km、面積は213.84k㎡で県下6位、県の総面積の4.1%をしめています。 最高部は南三里塚地先で標高42m、最低部は安西地先で標高1mです。 地質は概ね赤褐色の関東ローム層で、ほかに黄褐色の砂層と小砂利混じりのいわゆる「成田層」で形成されています。 土地利用状況をみますと、4割近くが田畑、約2割が山林原野、約1割が宅地となっています。この地域に、12万3千人余の人々が暮らしています。
歴史
三里塚遺跡からは房総最古の石器が出土しており、約3万年前から人々が住んでいたとされています。10世紀中ごろには成田山新勝寺が創建され、江戸時代中ごろには、多くの参詣客で賑わい、門前町として栄えるようになりました。昭和40年代はじめの空港建設決定以降、ニュータウン建設、工業団地の造成などに伴って急速に都市化が進展してきました。 いにしえより、数えきれないほどの人々の暮らしが刻まれてきたこの土地。その百年の変化を、空中写真と地図を通して鳥瞰していただけたらと思います。
展示では、ニュータウン・囲護台地区、美郷台地区、公津地区の造成前とその後を空中写真でご覧いただけます。
ニュータウン・囲護台地区
撮影年月
S44年3月 1:5000
H8年1月 1:5000
美郷台地区
撮影年月
S55年1月 1:5000
H8年1月 1:5000
公津地区
撮影年月
S57年2月 1:5000
H8年3月 1:5000
『松井天山 千葉県市街鳥瞰図』
平成元年11月(原寸で複製)発行
聚海書林 発行所
松井天山は、昭和二年から十三年までの十二年間に、県内二十七市町、二十九枚の鳥瞰図を書き上げています。これらの図は、昭和初期の街の姿を手に取るように写し出しています。 本図、成田町は昭和十三年二月の町並みが描かれています。
『明治前期関東平野地誌図集成』
平成元年7月(再製)発行
柏書房 発行所
日本近代地図作成史のなかで、「迅速図」あるいは「迅速測図」とよばれる一群の地図があります。近代測量の揺籃期である明治初期に、正式地形図に先行して作成された諸地図を指します。この成田の迅速図の測年は明治15(1882)年です。となりに展示してある、百年後の地形図と見比べてください。
空中写真 三里塚地区
撮影機関 米極東空軍
撮影年月日 S23年9月28日
撮影縮尺 約1/16,000
成田市周辺の平坦な台地一帯は、江戸時代には佐倉七牧とよばれる幕府直轄の放牧地がありました。明治以降は宮内省(のち庁)下総御料牧場として整備され、長く三里塚牧場の名で一般に親しまれました。空中写真上でも左下部分に、楕円形の馬場が認められます。