解題
この自筆原稿は松屋製のB版の200字詰めの原稿用紙に毛筆でしたためられ、かなり推敲のあとが残っている。成田中学校(現成田高等学校)に勤務しながらの執筆で、時には「郵便の差し出し時間が迫ったために、郵便局へ駆けつけて書いたこともあります」とか「ときどき授業が終へてから、みんな引き上げた教員室に一人残って夜の十二時近くまで書いて」と後に回想(「手紙に代えて十五」)しているところからみて、清書する暇もなく、原稿のまま新聞社に送られたものであろう。削除や書き足しのため、連載一回分の枚数も、最も少ないときの5枚、多い時の14枚までと一定しない。なお、寄贈された原稿は、連載全160回分中、1-21、39、59、63-65、67-70、73の回を欠き、総枚数1,151枚である。
三重吉は非常に神経質で、「自分の筆と原稿用紙と自分の机でないと何もかけぬ。」と語っている。また、文字についても、選に太いところと細いところのできないように、形の整った字を、非常に時間をかけて書いたという。このこだわりは原稿を書く時限定のものであった。そのため筆も使い古したものでなくてはならず、「田舎の学校にいた頃などは仲間の教師に一々新しい筆を配っておいて、それがようよう遣い古されてさきの切れた頃を見計って、自分でつかった。」(『創作前後の気分』)という。田舎の学校とは旧制成田中学の事であろう。
(山本佗介 事務局にて一部加筆)