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最終更新日2009/01/16

2008(平成18)年に押尾禎一氏から寄贈いただいた資料を,2007(平成19)・2008(平成20)年度に補修いたしました。2007(平成19)年度補修の資料は,同年度に展示いたしました。

今回は,本年(2008(平成20)年)度補修の資料を紹介するものです。

 2階展示コーナー「市川団十郎と成田」と併せて展示しました。>>

神山魚貫自作一首

押尾禎一氏寄贈資料から

神山魚貫自作一首

「    滝辺花
 たき水のいとの長くも
  咲さくら落ちるひびきも
   さはらさくらし
            神山魚貫   」

神山 魚貫(かみやま なつら)
 1788(天明8)年-1883(明治15)年

 幕末の田園歌人。飯岡村(現在の成田市飯岡)に生まれ,はじめ周助,のち父の名である三郎左衛門を襲名し,村の名主も務めた。魚貫は号。松迺舎,無境庵とも称した。幼少より和歌を好み,独学で歌を学んだ。生涯を通して歌作と書に親しみ,95歳の長寿を保って逝去した。代表的な歌集は『苔清水』。また,飯岡に歌碑がある。

 門人は,近在はもとより現在の千葉県・茨城県に限らず新潟県などにも及んでいた。中には,下総国学の中心になった伊能頴則,椿仲輔,鈴木雅之などもいる。