『成田の地名と歴史‐大字別地域の事典』の刊行を記念して、本書の編集委員会委員長である大塚初重氏と作家五木寛之氏を講師にお招きし、市史講座を開催します。
【市史講座】 市史講座 『成田の地名と歴史‐大字別地域の事典‐』刊行記念講演会
最終更新日 2012年11月22日
講師 : 五木寛之氏・大塚初重氏
開催日時 :2011年08月21日 (日曜日) 午後2時から4時30分まで(開場は午後1時)
定員 : 800名
場所 : 成田国際文化会館大ホール(成田市土屋303)
講演
- 五木寛之氏「きのう・今日・あす」
- 大塚初重氏「台地はかたる」
入場料 : 無料
申込方法
往復はがき (私製を除く) の往信の裏側に 1:郵便番号、2:住所、3:氏名、4:年齢、男女の別、5:電話番号を、返信用の表側に 1:郵便番号、2:住所、3:氏名を明記して申し込んでください。参加申し込みは1人1枚です。
申込先 : 〒286-0017 千葉県成田市赤坂1-1-3 成田市立図書館 市史講座係
お問い合わせ先 : 成田市立図書館(電話番号:0476-27-4646) 午前9時30分~午後5時(月曜日、6月30日、7月19日は休館です)
申込期間 : 平成23年7月20日(水曜日)消印有効。応募者多数の場合は抽選となります。
2011年08月21日 (日曜日) 855名の参加がありました。
講師紹介
五木寛之氏
1932年、福岡県に生まれる。
戦後、北朝鮮より引き揚げ。早稲田大学文学部ロシア文学科中退。1966年、『さらばモスクワ愚連隊』で小説現代新人賞、『蒼ざめた馬を見よ』で第56回直木賞受賞。『青春の門』で吉川英治文学賞をうける。
代表作は、『朱鷲の墓』『戒厳令の夜』『風の王国』『蓮如』『大河の一滴』。
翻訳にチェーホフ『犬を連れた貴婦人』、リチャード・バック『かもめのジョナサン』、ブルック・ニューマン『リトルターン』等がある。
第一エッセイ集『風に吹かれて』は刊行44年をへて、現在総部数約460万部に達するロングセラーとなっている。
ニューヨークで発売された英文版『TARIKI』は、2001年度「BOOK OF THE YEAR」(スピリチュアル部門銅賞)に選ばれた。また2002年度第50回菊地寛賞。2010年、NHK放送文化賞、第64回毎日出版文化賞特別賞。
1981年より、休筆、京都の龍谷大学において仏教史を学ぶが、1985年より執筆を再開し、現在、泉鏡花文学賞、吉川英治文学賞、その他の選考委員をつとめる。最近作は、長編小説『親鸞』。
戦後、北朝鮮より引き揚げ。早稲田大学文学部ロシア文学科中退。1966年、『さらばモスクワ愚連隊』で小説現代新人賞、『蒼ざめた馬を見よ』で第56回直木賞受賞。『青春の門』で吉川英治文学賞をうける。
代表作は、『朱鷲の墓』『戒厳令の夜』『風の王国』『蓮如』『大河の一滴』。
翻訳にチェーホフ『犬を連れた貴婦人』、リチャード・バック『かもめのジョナサン』、ブルック・ニューマン『リトルターン』等がある。
第一エッセイ集『風に吹かれて』は刊行44年をへて、現在総部数約460万部に達するロングセラーとなっている。
ニューヨークで発売された英文版『TARIKI』は、2001年度「BOOK OF THE YEAR」(スピリチュアル部門銅賞)に選ばれた。また2002年度第50回菊地寛賞。2010年、NHK放送文化賞、第64回毎日出版文化賞特別賞。
1981年より、休筆、京都の龍谷大学において仏教史を学ぶが、1985年より執筆を再開し、現在、泉鏡花文学賞、吉川英治文学賞、その他の選考委員をつとめる。最近作は、長編小説『親鸞』。
大塚初重氏
1926年、東京都に生まれる。
1945年、輸送船が二度撃沈され漂流する戦争体験をもつ。復員後は働きながら明治大学の夜間部に学び、1957年同大学大学院文学研究科博士課程を修了し、1968年明治大学教授となる。日本考古学界の第一人者である。登呂遺跡(静岡市)や虎塚壁画古墳(茨城県)、綿貫観音山古墳(群馬県)などの数多くの発掘調査を手掛ける。
日本学術会議会員、日本考古学協会会長、山梨県立考古博物館館長、山梨県立埋蔵文化財センター所長、千葉県文化財審議会委員、成田市文化財審議委員会委員などを歴任する。現在は明治大学名誉教授・文学博士。
1987年成田市社会教育功労者表彰、2004年紺綬褒章受章、2005年瑞宝中綬章受章。
主な著書に『東国の古墳と大和政権』『考古学から見た日本人』『弥生時代の時間』、共著に『勝田市馬渡埴輪製作址』『日本古墳大辞典』『続日本古墳大辞典』など多数。成田市史に関するものには、『成田市史』原始古代編、『図説成田の歴史』『新聞に見る成田の50年』がある。
五木寛之氏との対談集『弱き者の生き方』は、大塚先生がラジオ番組でお話された太平洋戦争での経験に、五木氏が感動し対談を申し込まれ実現したものである。
1945年、輸送船が二度撃沈され漂流する戦争体験をもつ。復員後は働きながら明治大学の夜間部に学び、1957年同大学大学院文学研究科博士課程を修了し、1968年明治大学教授となる。日本考古学界の第一人者である。登呂遺跡(静岡市)や虎塚壁画古墳(茨城県)、綿貫観音山古墳(群馬県)などの数多くの発掘調査を手掛ける。
日本学術会議会員、日本考古学協会会長、山梨県立考古博物館館長、山梨県立埋蔵文化財センター所長、千葉県文化財審議会委員、成田市文化財審議委員会委員などを歴任する。現在は明治大学名誉教授・文学博士。
1987年成田市社会教育功労者表彰、2004年紺綬褒章受章、2005年瑞宝中綬章受章。
主な著書に『東国の古墳と大和政権』『考古学から見た日本人』『弥生時代の時間』、共著に『勝田市馬渡埴輪製作址』『日本古墳大辞典』『続日本古墳大辞典』など多数。成田市史に関するものには、『成田市史』原始古代編、『図説成田の歴史』『新聞に見る成田の50年』がある。
五木寛之氏との対談集『弱き者の生き方』は、大塚先生がラジオ番組でお話された太平洋戦争での経験に、五木氏が感動し対談を申し込まれ実現したものである。