幕末における民衆蜂起
―経済道徳の基準をめぐって―

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最終更新日2003/08/08

講師:大舘右喜おおだちうき氏(國学院大学大学院講師)


 今年度の市史講座は,10月12日(土)に57名の参加者を得て開催された。
 大舘先生は,埼玉県史をはじめ各地の市町村史の編さんにも活躍され,幕末期の研究として『幕末社会の基礎構造』,その他『幕藩制社会形成過程の研究』等を著し発表されてきた。
 講演では,長年の調査や研究の一端をイギリスの研究者の見解も交えて話された。幕末社会についての研究は,戦後の民主化が進展した時期に盛んに行われた。その中で,明治維新から明治10年代のいわゆる民権運動は,幕末の世直し運動などが展開したものであるとの見方が強調されてきた。そこで大舘先生は,関連の資料を見る等の研究を続ける過程で,別の解釈もあるのではないかとの考えに至り,欧米の諸研究を調査することになったという。
 民衆蜂起は,一般の社会においての経済活動が市民民衆の容認される基準を超えた場合に起こり,幕末に増大した。具体的には打ちこわしや一揆という形で現れる。経済活動が,市民民衆と豪農豪商相互に納得がいくような状況であれば,打ちこわし等の実力行使に至らないというようなことを,イギリスの研究者トムソン等も言っている。しかし,日本のこの民衆蜂起には,もう一点特徴がある。これは市民民衆の要求やあるいは受諾というものが,村(村落共同体)を通して行われたという点で,村落共同体の役割が大変重要であった。
 騒動を未然に防いだ例として,中山道の内で大規模であった武蔵本庄の万延2年(文久に改元・1861)の動きが,有力者からの施米・施金によって打ちこわし等の実力行使寸前でくい止められた事を,住民構成等も踏まえて史料をもとに紹介された。また,既刊の『成田市史』から成田村の幕末期の住民構成について,改めて準備された分析にも触れられた。

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