資料名助先の祇園祭
副書名風景(川・河岸・船・駅・行事)
富澤氏の
キャプション
今日は人通りのある助先の宿
著者名富澤庸祐
出版者-
作成年-

解題

成田市内名古屋の助崎にある須賀神社は、建速須佐之男命(タケハヤスサノオノミコト)を祭神とし京都の祇園、八坂神社の神を勧請した社である。この神は牛頭天王とも言われることから、「助崎の天王様」とも呼ばれている。例祭は「助崎の祇園」と呼ばれ近隣によく知られ、多くの参詣者を集めている(元々7月19日であったが、2013(平成25)年から7月の第4土曜日になった)。

写真のように、須賀神社近くの小御門神社前あたりが臨時の停留所で、現在のJR滑河駅から臨時バスが出ていた(2003(平成15)年頃まで)。当時は臨時バスをピストン輸送するほどの賑わいで、道は参拝客であふれ、露天の店が軒を連ねていた。その頃、露天でモモがたくさん売られていたので、一名「モモ祇園」とも言われていた。

須賀神社は、一説には平安初期の853(仁寿3)年勧請し、南北朝後期の天授年間(1375 - 1381)、千葉氏の支族大須賀氏(助崎城主)が尊崇して社殿を造営したことを伝えている。同氏が祈願所としたとから、今も屋根の棟や天水受に「月星紋」がついている。元宮は助崎城の城域に含まれる字内宿にある。江戸後期の1854 - 1860(安政年間)年の火災のため縁起などを焼失したといわれている。例祭が近づくと社前の道にお仮屋と大幟が用意され、当日は花火の打ち上げで始まる。白木作りの神輿(古い神輿は成田市下総歴史民俗資料館で保存展示)は、近くの尾羽根川でお浜降りをしたあと、後ろに神職、薙刀(松子城主大須賀氏の祖胤信の寄進を伝えている。大室の円通寺所蔵)、太鼓、お神酒当番などを随えて巡行する。神輿巡行はかなり激しく「暴れ神輿」の異名があるほどである。

2013(平成25)年から子ども神輿が引き回されるようになり、祭りを盛り上げている。また、この神様はキュウリの断面が神紋と似ていると伝えられ、氏子は祭まではキュウリを食べない風習があった。社殿内に絵馬が数枚あるが、珍しいキュウリの絵馬が奉納されている。なお、境内に江戸後期の1850(嘉永3)年に奉納された「力石」があったが、現在は成田市下総歴史民俗資料館の玄関先に展示されている。

(島田七夫 事務局にて一部編集)

NSIN(書誌ID)DL20151000410
種別写真
細目写真
ページ数1枚
大きさ(縦×横)
資料群名富澤庸祐アルバム
目録番号黄-13-150
撮影年月日2014/01/17
掲載枚数1枚
備考
所蔵成田市下総歴史民俗資料館
分類748
件名富澤庸祐
件名(成田)成田市-富澤庸祐
キーワード(成田)
地域コード9N
郷土分類748